最新日記
7月28日
「責任を取って自粛します」
日本ではよく見ることです。
ここ最近、自分の周りでも目につくことがあります。
自ら粛することに意味があると日本人は思っているとわたしは感じております。
でもよく考えるとおかしな話だと思うのは自分だけではないと思います。
あくまで人は何かを信じること、信じられることには無条件に喜びや誇りを感じるという前提で話します。
責任を取るという「行動」で「自ら何もしない」という真逆の行動をとるという
自分では「行動」を「我慢」するという行動でしょうが、
動くことを望む人から見ると「何もしない」という裏切り以外何物でもありません。
当然自粛がいいほうに働く場合があることもわかります。
自分も自粛を行うことはよくあります。
でも「反省」の変わりに「自粛」はしたことないつもりです。
思えば自粛ってきっと自分を守るためのものなんでしょうね。
自らやめるというかっこよさとこれ以上みんなに迷惑をかける可能性、自分を見る目の恐怖から身を守るためなど、
「自粛」もっともかっこいい逃げの方法だと思います。
はっきりいって反省のための自粛を自分は認めたくありません。
あなたと一緒にいた人たちはそんなに心の狭い人たちですか?
みんな自分を疎いものだと思ってますか?
本当に悪いと思うなら迷惑をかけてしまった人たちを信じてあげましょう。
それでみんながだめというならそれこそ周りから罰を受けるわけですから甘んじて受けて反省しましょう。
みんな多かれ少なかれ、大きな失敗、小さな失敗は必ずします。
そしてそれを放置せずに改善することが迷惑に対する唯一の償いだと思います。
また迷惑をかけられようとも、直そうとするのなら全力でそれを応援したい。
自分勝手ではあるが、みんなもそうしてくれると信じています。
自分はみんなに信じられてるとおごり高ぶれというわけじゃないです。
みんなは自分を信じてくれている、とみんなを信じて、失敗を繰り返し、
それを直しながら生きていくのもいいのではないでしょうか
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